みきろんの部屋
高橋幹の日常などなど。あれこれと、お送りする部屋。
聖なる夜。
絶賛、袋の幹ろん。
しかして明日は最終〆切・・・まさしく今晩が最後の聖戦です。
差し替えなどの可能性は否めませんが・・・orz
兎に角はUPです。
しかして昨日はクリスマスイヴ。
兼ねてよりの約束のため、教会のミサに行ってきました。
うちは大学はめっさ仏教大学ですが、幼稚園はキリスト教だったので(笑)
教会のミサは経験があるのですが、めっさ久しぶり。
実に20年ぶりくらいかな。
会社近くの由緒ある素敵な教会に定時後ダッシュで行って来ました。
いやはや、すごい。
圧倒的な何かがそこにはあった。
「心洗われる」なんて簡単な表現では、おさまらないくらい。
言葉に出来ないほどの圧倒的な何か。
子供の頃のミサではそんな風に思ったことはなかったのにな。
今だからこそなのかな。
クリスマスの意味を考えた。
「救いの御子」がお生まれになった日、だから「おめでとう」なんだよね。
暗い世界に光を照らす奇跡の御子が、神が御子を授けてくださった日だから、
貴くすばらしく、皆でお祝いをする日なんだよね。
今は恋人達のイベントだったり、サンタさんがやってくる日だったり、飲み会だったりとか。
意味合いは随分うすくなってる気がするけれど。
賛美歌を歌いながら「クリスマス」の意味を考えていた。
ああ、今日は本当にすばらしい日なんだなぁーと。
自分はクリスチャンではないし、なるつもりもない。
と、いうのもやっぱり仏教もすばらしいと思うからなんだけれど。
ああ、なんだか浮気者(^^;
宗教って敬遠されがちな部分があるけれど、やっぱり根本の信仰心というものは、
ただそれだけだったら、なににも代え難い美しく貴いものだと思う。
カタチは違えども、どの宗教もたどりつく存在というのは「唯一無二」な気がするし。
いわゆる「神様」
実際キリスト教は「イエス様」は、「神様の御子」であって、道を示す方であって「神様」ではないし、
宗教というのはその神様を理解する文化のひとつであって、手段に過ぎないように思うのです。
だからあたしはキリスト教も、仏教も、そこにあるのがただの信仰心だけならば、
どれもがすべてすばらしいと思うし、宗教施設、特に歴史的にも古い宗教施設には感銘を受けてやまない。
人々の信仰心の息吹がそこに残ってるからだと思う。
「黄金比」
とか、このようには絶対的なもの、理が存在してるというのをあたしは感じていて。
で、あるならば目には見えない「神様」が存在していると思えてならない。
そこにすがる、その神様を心の支えとし、少しでも近づきたいと思うから「宗教」が存在するんだと思う。
結果その信仰心の強さや深さ故に、争いが生まれることは哀しいことに他ならないけれど。
真っ直ぐな想いだからこそ、譲れなかったりするのよね。
その根本にある「神様」はきっと一緒だと思うんだけれどなぁ。
ずっとずっと悩んでいたこと、悩むことに変わりはないけれど。
少しだけ救われた気がしたのです。
久しぶりに心穏やかになれた気がしました。
ずっとずっと自分が許せなかったのに、でも、少しだけ許せたのかもしれません。
「救われた」という表現がきっと一番ぴったりとくるのです。
あたしにとって本当に聖なる夜でした。
とてもとても幸せな気持ちに包まれていました。
生まれてから心に残るクリスマスってどれほどあったかなと思う。
基本、家でまったりのんびりだった人だから余計にかな。
とても印象的で。
あたしにとって一番印象的なのは、もう何年も前。
横浜に行ったクリスマスなのだけれど。
赤レンガ倉庫のライトアップに天使の映像、街中を歩く聖歌隊。
なにもかもがキラキラに輝いていた・・・あれは大学3年の時かー懐かしいなぁ。
あんな風に心に残るクリスマスはもうないんじゃないかなって思ってたのに。
本当に幸せな時間でした
さぁ、聖なる夜の翌日は最後の聖戦。
なんだかよくできた話です(笑)
しかして明日は最終〆切・・・まさしく今晩が最後の聖戦です。
差し替えなどの可能性は否めませんが・・・orz
兎に角はUPです。
しかして昨日はクリスマスイヴ。
兼ねてよりの約束のため、教会のミサに行ってきました。
うちは大学はめっさ仏教大学ですが、幼稚園はキリスト教だったので(笑)
教会のミサは経験があるのですが、めっさ久しぶり。
実に20年ぶりくらいかな。
会社近くの由緒ある素敵な教会に定時後ダッシュで行って来ました。
いやはや、すごい。
圧倒的な何かがそこにはあった。
「心洗われる」なんて簡単な表現では、おさまらないくらい。
言葉に出来ないほどの圧倒的な何か。
子供の頃のミサではそんな風に思ったことはなかったのにな。
今だからこそなのかな。
クリスマスの意味を考えた。
「救いの御子」がお生まれになった日、だから「おめでとう」なんだよね。
暗い世界に光を照らす奇跡の御子が、神が御子を授けてくださった日だから、
貴くすばらしく、皆でお祝いをする日なんだよね。
今は恋人達のイベントだったり、サンタさんがやってくる日だったり、飲み会だったりとか。
意味合いは随分うすくなってる気がするけれど。
賛美歌を歌いながら「クリスマス」の意味を考えていた。
ああ、今日は本当にすばらしい日なんだなぁーと。
自分はクリスチャンではないし、なるつもりもない。
と、いうのもやっぱり仏教もすばらしいと思うからなんだけれど。
ああ、なんだか浮気者(^^;
宗教って敬遠されがちな部分があるけれど、やっぱり根本の信仰心というものは、
ただそれだけだったら、なににも代え難い美しく貴いものだと思う。
カタチは違えども、どの宗教もたどりつく存在というのは「唯一無二」な気がするし。
いわゆる「神様」
実際キリスト教は「イエス様」は、「神様の御子」であって、道を示す方であって「神様」ではないし、
宗教というのはその神様を理解する文化のひとつであって、手段に過ぎないように思うのです。
だからあたしはキリスト教も、仏教も、そこにあるのがただの信仰心だけならば、
どれもがすべてすばらしいと思うし、宗教施設、特に歴史的にも古い宗教施設には感銘を受けてやまない。
人々の信仰心の息吹がそこに残ってるからだと思う。
「黄金比」
とか、このようには絶対的なもの、理が存在してるというのをあたしは感じていて。
で、あるならば目には見えない「神様」が存在していると思えてならない。
そこにすがる、その神様を心の支えとし、少しでも近づきたいと思うから「宗教」が存在するんだと思う。
結果その信仰心の強さや深さ故に、争いが生まれることは哀しいことに他ならないけれど。
真っ直ぐな想いだからこそ、譲れなかったりするのよね。
その根本にある「神様」はきっと一緒だと思うんだけれどなぁ。
ずっとずっと悩んでいたこと、悩むことに変わりはないけれど。
少しだけ救われた気がしたのです。
久しぶりに心穏やかになれた気がしました。
ずっとずっと自分が許せなかったのに、でも、少しだけ許せたのかもしれません。
「救われた」という表現がきっと一番ぴったりとくるのです。
あたしにとって本当に聖なる夜でした。
とてもとても幸せな気持ちに包まれていました。
生まれてから心に残るクリスマスってどれほどあったかなと思う。
基本、家でまったりのんびりだった人だから余計にかな。
とても印象的で。
あたしにとって一番印象的なのは、もう何年も前。
横浜に行ったクリスマスなのだけれど。
赤レンガ倉庫のライトアップに天使の映像、街中を歩く聖歌隊。
なにもかもがキラキラに輝いていた・・・あれは大学3年の時かー懐かしいなぁ。
あんな風に心に残るクリスマスはもうないんじゃないかなって思ってたのに。
本当に幸せな時間でした
さぁ、聖なる夜の翌日は最後の聖戦。
なんだかよくできた話です(笑)
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